(1)金胎利智不仁(こんたいりちふに)とは
これらの二つの経典は、インドから中国への流伝ルートも伝持者も翻訳者も異なるが、弘法大師の師である唐長安青龍寺の恵果阿闍梨(けいかあじゅり)によって一対のものと見なされた。(両部の大経)そして、胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅を一対一具のものとして弘法大師に伝えたので、後世これらを両界(部)曼荼羅と一括して呼ぶ事となる。恵果阿闍梨による両部両界の思想は中国古来の陰陽五行思想などの影響が大きく、密教教理を二元論的に解釈する上で両界曼荼羅を対照的に位置付けながら、同時にそれらは本来一つのものであるという金胎不二という理念を生むに至った。 例えば胎蔵曼荼羅は、宇宙の物質的生成原理である五大の世界に視座をおいて説いている事から理(理とは客体、客観世界)の曼荼羅と言われる。一方金剛界曼荼羅は、精神的原理としての識大の世界に視座をおいている事から智(識は主体、主観世界、智に転ずる)の曼荼羅と呼ばれ、ここに金胎理智不二という理念が両界曼荼羅の規範となっている事が理解される。 |
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