2. 真言密教とは

(1)弘法大師のおしえ
(2)大日如来と六大説

(1)弘法大師のおしえ

 弘法大師空海(774〜835)によって日本に請来された仏教は、それまでの諸宗派(奈良仏教)には説かれない画期的な教えを説くものであった。それまでの仏教を顕教と呼ぶのに対して密教(秘密仏教)と称した。
 宗派名は、諸仏の功徳を賛嘆する真言(原語である梵語で発音)を独自の言語哲学に基づいて神聖視する事から真言宗と称し、インド、チベットの密教と比較する時には、真言密教と呼んで区別する。
 弘法大師は真言密教の教理の特徴について、 イ、法身説法(ほっしんせっぽう) ロ、果分可説(かぶんかせつ) ハ、即身成仏(そくしんじょうぶつ) ニ、教法殊勝(きょうほうしゅしょう) を掲げている。
 顕教は応身(おうじん)である釈尊の教説であるが、密教ではこの現象世界を、真理そのものを仏格化した法身(ほっしん)である大日如来が説法している実在の世界そのものと把える。(法身説法)
 即ち、他ならぬこの現象世界を離れて真実の世界はなく(即時而真(そくじにしん))、悟りの境地も文字や象徴的表現をかりて説く事ができる(果分可説)とする。
 そして私達人間という存在(小宇宙─ミクロコスモス)も法身大日如来(大宇宙―マクロコスモス)という生命の顕現であり、共に身密(しんみつ)(身体的活動)、口密(くみつ)(言語的活動)、意密(いみつ)(心の活動)という三密の活動をしている。
 従って私達が手に印契(いんけい)(身密)を結び、口に真言を誦じ(口密)、心は精神集中して三昧に入る(意密)事によって、小宇宙である私達と大宇宙としての大日如来が、本来同体である事を体得する事ができる。これが即身成仏(この身このままで仏と成る)である。 そしていかなる人間も生まれながらにして仏性(仏と同体のいのち)をもっているから、菩提心(悟りを求める心)を発せば、どんな人間でも悟りを得る事ができる(本来悟っている事に気付く)と説いている。(教法殊勝) 以上が密教教理の要旨である。
 さらに弘法大師は、「密蔵深玄にして翰墨に載せ難し、更に図画を仮りて悟らざるに開示す」(御請来目録)と述べ、密教の教えは深く言葉では語り尽くせないので、図絵(仏画などの造形)を以って判り易く私達に説き示すとしている。密教美術は、密教の説く真理を秘めた造形の宝庫と言える。そして曼荼羅はその珠玉である事は言うまでもない。
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(2)大日如来と六大説

 大日如来は密教の教主であり、大日経に初めて説かれる。梵名はmaha vairocana tatha gata、摩訶毘廬遮那如来(まかびるしゃなにょらい)と漢訳され、大日如来は意訳である。奈良の大仏は華厳経の教主である廬遮那仏(るしゃなぶつ)で、言わば大日如来の原形とも言える。
 大日如来とは、密教の説く真理の永遠性と普遍性を仏格化したもので、大日如来の仏徳を説明する比喩として太陽の性格を取り入れている。

金剛界曼荼羅
金剛界曼荼羅〈一印会、大日如来〉 浄土寺本

 太陽の光が闇を除き、遍く万物を照らし輝かす性格は大日如来の智恵を表わす。またその熱が万物を慈育し、無量の恩恵を与えていることは大日如来の慈悲を示している。
 またその光と熱は一切に平等であり、しかも生滅する事なく常恒である。
 このように大日如来は、太陽の特性に喩えられるように、まさに真理そのものを法体とし、時空を越えて無量無限なる宇宙仏であると考えられる。
 弘法大師は、宇宙の物質的生成原理としての五大(地大、水大、火大、風大、空大……大とは根元的なものという意)に、精神的原理としての識大を加えて六大説を説いた。
 森羅万象は、この五大と識大の渾然一体となった世界であり、物と心(物質と精神)は本来一体なるもので、分離されるべきものではないと説く。
 言いかえるならば、物質としての五大も単なる物質なのではなく、精神的(識大)なるものを背景として形造られている。逆に識大も五大を離れて存在せず、物心一如の世界を説いている。この六大の働きによって形成される宇宙を象徴的に表現したものが五輪塔であり、大日如来の三昧耶形(シンボル)となっている。
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