注 釈

《注1》 三密行といわれる「身(しん)」密(印相(いんぞう)を結ぶ)、「口(く)」密(仏の言葉である真言・陀羅尼を唱える)、「意(い)」密(仏の三昧の境地である瞑想に入る)のうち口密をさす。陀羅尼は、仏の教えを凝縮し神秘的な力をもつとされる呪文。
《注2》 成仏とは、死んでしまうことではなく、自分が仏であることに気付くということであり、そこに密教としての本質がある。
《注3》 「大毘盧遮那大悲(だいびるしゃなだいひ)胎蔵大曼荼羅」「大悲胎蔵法曼荼羅」「大悲胎蔵三昧耶略曼荼羅」「金剛界九会(くえ)曼荼羅」「金剛界八十一尊大曼荼羅」「白緤大曼荼羅尊四百四十七尊」「白緤金剛界三昧耶曼荼羅尊百二十尊」「愛染王曼荼羅」の八幅。
《注4》 多くの面と手をもつ。多様な救済の可能性を求めて様々な様相の観音像が生み出された。
《注5》 菩薩や天部などの髪型で、結い上げた髷(まげ)の形をしている。
《注6》 『金剛頂経』の曼荼羅には「金剛界」、『大日経』の曼荼羅に「界」の字が付されていないのは原典による。9世紀後半〜10世紀には「胎蔵界」の用語が使用されるようになる。本稿では、以下「胎蔵界」と記す。
《注7》 空海の『請来目録』には両界曼荼羅という表現はないが、「大毘盧遮那大悲胎蔵大曼荼羅一鋪七幅(画絹を縦に7枚継いだもの)一丈六尺 金剛界九会曼荼羅一鋪七幅一丈六尺」と記されている。
《注8》 建久本、永仁本、元禄本が伝存している。
《注9》 両界曼荼羅は、空海のほかに円仁、円珍、宗叡によって系統の異なる図相のものが伝来されており、後世異本を生じている。密教の画像は、その形式・内容に関して、僧侶の意楽(自由な発想)が加味され、全く別個の画像が形成される。
《注10》 大日如来を中心とする金剛界三十七尊のほか、四大神、二十天と仏の上半身だけを小さく表現した賢劫(けんごう)の千仏。
《注11》 興然(こうねん 1120〜1203)が撰述した『曼荼羅集』3巻には、44種の別尊曼荼羅が記されている。
《注12》 仏頂とは、仏・如来像をさらに尊格化した呼称。実際には、胎蔵界・金剛界の大日如来の姿として表現されることが多い。
《注13》 仏眼は、仏陀の身体の一部(眼の威力)を取り上げてそれを仏格化したもの。仏眼は仏陀の一族に属する女性尊として仏母という尊称名が付される。
《注14》 通例は羂索(けんさく)である。旧訳『仁王経』の中尊・金剛吼(く)菩薩が十二輻輪宝を持つことによる。
《注15》 息災法は災害や苦難・煩悩・罪業など内外の災障を除くため、一方、増益法は福徳・繁栄の増益を求めるときに修する秘法。
《注16》 奈良・元興(がんごう)寺の智光(ちこう 708〜778頃)が感得したと伝える。浄土の荘厳が簡略で、最下段の中央の橋上に二僧(智光・頼光)を描いている。
《注17》 996(長徳2)年に奈良・超昇(ちょうしょう)寺の清海(〜1017)が感得したと伝える。図の四周に『観無量寿経』に説く十六観の経文の要約を記入した蓮華座を表すのを特徴とする。
《注18》 横佩(よこはき)大臣(藤原豊成か)の息女法如尼(中将姫)が当麻寺で生きた阿弥陀仏を拝みたいと思い修行を続けていたところ、尼僧があらわれ、極楽浄土を拝ませてあげるから蓮の幹を集めよという。尼僧はその蓮糸で極楽浄土図を織り上げて法如尼に授けたという。
《注19》 余談だが、阿弥陀浄土世界は、京都・宇治平等院にて現実のものとして見ることができよう。宝池に見立てた池越しにみる鳳凰堂内の阿弥陀如来及び堂内の荘厳がそうである。
《注20》 鳥の嘴を表し、平安時代後期以降のものにみられる形式で、それ以前のものは脇鈷を屈折させており、大師請来様とよばれる。
《注21》 獅子の顔面を模様化し、脇鈷をくわえるようにみせる。
《注22》 空海は80粒(東寺に安置される)、円仁は5粒、恵運は95粒、円行は3000粒、雲仙12700粒を請来したとされる。
《注23》 広島県重要文化財・浄土寺文書のうち「足利直義塔婆仏舎利安置旨趣状」。



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