小林和作>エピソード
和作の陰徳、画業は佳境へ
前へ  次へ
小林和作 昭和26年 1月文化功労により第二回山陽新聞社賞を受ける。
尾道を中心に山陽地方に広く絵を広め、若い画学生や地方画家に援助を惜しまなかった功績によって与えられたものである。
この頃から、和作の陰徳がはじまっていた。
絵が売れても入ってくる金より出ていく金のほうが多かった。
東京日本橋・高島屋で開催の丹楓会(会員は梅原龍三郎、中川一政、鳥海青児、里見勝蔵、伊藤廉、野口弥太郎、青山義雄、小泉清)らに加わり、「室戸岬」「静物」を出品。以後、49年の死去まで毎年出品した。
同年10月 独立美術協会創立二十周年記念第十九回独立展に「画室にて(01−445)」「ゆく春」その他、「春の山」「栗原(01−530)」4点を出品。「ゆく春」が文部省買上げとなった。(テアトルシェルネの緞帳のデザインに使われている)
「ゆく春」
「ゆく春」(東京国立近代美術館所蔵)

「春の山」
「春の山」(山口県立美術館所蔵)


01−530「栗原」
前へ  次へ