小林和作>エピソード | |||
「鳩」 | |||
|
その頃から絵を描くことに専念するようになる。 展覧会にも多数出品している。 悲しみから逃れるために春の絵を描いている。 和作は尾道に行ってから変わったといわれるが妻の死後、彼は春のように暖かいみずみずしい絵を描くようになる。
昭和15年 朝日新聞社発行の「独立美術10周年記念画集」に「紀州の海」「秋山」「荒海」「海」「果樹園」「風景」の6点が収録される。 10月、紀元2600年奉祝美術展に、「春」を出品する。 この年、和作の初期代表作といわれる一連の抒情的作品、ほかに「春と小鳥台」「島の春」「洋梨を採る」などを描いた。 昭和16年 太平洋戦争勃発。8月 須田国太郎が尾道の和作宅を初めて訪れる。 やがて須田国太郎の大コレクターとなる。尾道の医師・大林次彦を訪ねる途次であったらしい。 昭和17年 敏子夫人と再婚。敏子は横浜で女学校の教師をしていた。32歳。 昭和18年 長男康男肺炎で死亡。23歳。 太平洋戦争が重くのしかかる中で、康男はいずれ戦争へ狩り出されることを極度に嫌い、病気になっても放置し、自然にまかせて肺炎をひきおこしての死であった。 和作はその後描いた「鳩」に息子を失った悲しみを表していると言われる。(評伝170) |
|
||