森谷南人子>エピソード | |||||
人間 森谷南人子 | |||||
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尾道の絵はいずれも尾道らしさよりも笠岡と似たようなモチーフである。 大正11年 7月第一作家同盟の創立にあたり、盟員になる。 第一回作家同盟展に「風景」を出展。 同年3月に林芙美子が尾道高等女学校を卒業(18歳)この時期、尾道ゆかりの作家が同じ街に暮らしていたのである。 大正12年 スケッチ帖(3)がある。 表紙に「尾道市長江町三丁目 森谷利喜雄」とサインがある。 裏表紙には墨文字で「母校、諸先生」などと殴り書きしてある。 このスケッチ帖には今までに無いデザイン的なものが出てくる。 スケッチ帖(3)−2(03−237)。
日本画風に髪を結った女性やお下げの少女。まるで西洋の「水がめを担いだ裸婦」 のような絵である。 スケッチ帖(3)−13(03−248)にある言葉。 「ねェ、おかあさん、土用の中端に秋風が吹くと申しますが、しのそよそよとした風はほんとに」、と書かれ
「夏の女=行水の女を横目ですけべ顔・しらぬ顔」とあり。 女性関連のことが全く出てこなかった南人子の唯一の色心ではないか? このスケッチから有名な尾道の風景が出てくる。 (スケッチ(3)-18(03−253))千光山から見た現在の尾道大橋あたりの風景。
千光山より小歌島方面の向島。 向島の民家ごしに見た尾道水道。 向島=スケッチ(3)−26(03−261)(海辺に大きな工場の高い煙突が見える) 6月3日にスケッチ(3)−29(03−264)を描いているが、
浄土寺附近から見た尾道水道東向きと西向きスケッチ(3)−34(03−269)。
特にこの日は久保町あたりから見た風景や山波附近にも移動して描いている。 スケッチ(3)−36(03−271)、37(03−272)
山波の風景は後に南人子の「桃花処々」の題材となる村である。
スケッチ(3)−38(03−273)お皿に乗った苺。 39(03−274)には長江通りより見た千光山の風景。 中腹に千光寺・鐘つき堂や天寧寺の三重塔が見える。 ここだけブルーのインクで描かれている。
このノートの絵に共通して言えるのは、一つ前のスケッチ帖(4)の絵は寒い時期に描いているせいもあると思うが、初夏に描いているスケッチ(3)は色使いが非常に伸びやかで温かく、京都時代の水彩画に通じる非常に優しい色使いである。 これは尾道に来て三年ほど経っているので、足を延ばしてスケッチしていたのかもしれない。 和作は尾道に来てから作風が優しくなったと評されているところから、 尾道は人を癒すなにかがあったのだろうか。 和作をはじめ、多くの作家がそうであったように、南人子もここ尾道の空間に癒され、悟されいっそう情感的に成って来たのではないだろうか。 色紙頒布会を考え公募した文章の下書き スケッチ帖(3)−41(03−276)
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