森谷南人子>エピソード
尾道に移住、父の死後初めて書き綴ったスケッチに秘めたものとは
前へ  次へ
森谷南人子
この写生帖には「尾道にて」と書かれた尾道風景のペン画や薄い水彩画がある。
スケッチ帖(4)−24(03−303)、28(03−307)などは小柴垣のある小道の風景は山城戸の南人子邸上ではなかろうか。まだなれない尾道、まずは身近な場所から書き始めたのか、描かれた絵の線には非常に興味深いものがあると私は思えた。

03−307 03−303
03−307 03−303
03−310
03−310

大正9年11月16日というのはスケッチ帖(4)−31(03−310)にあるペンのデッサンに、「大正9年11月16日父死んで以来初めの写生」とある。


裏表紙(03−324)に「兵庫県武庫郡西郷町大石」とあり。
03−324
  03−324


03−300 03−306
03−300 03−306


スケッチ帖(4)−21(03−300)は絵の下にいくつかの木立があり全面は空、
小さな鳥の群れが右上に二群ある。
ゴッホは空が画面の大部分を占めるというのは、作家がより一層死を意識したものだと書き残したが、南人子が描いたこの絵は何だったのでしょうか、そして空飛ぶ鳥たちが向う先はどこなのでしょうか。京都なのか、生まれた地なのか興味が深くなるばかりです。

スケッチ帖(4)−44(03−323)には南人子の落款が二つある。
(楕円形の落款)その後四角に変わる。
03−323
部分
03−323 部分
前へ  次へ