平田玉蘊>エピソード
玉の浦の豊女、画家「平田玉蘊」としての出発
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平田玉蘊 父五峯が亡くなったとき、玉蘊は20歳だった。10代後半の作品には「豊女」とサインされていた。そこからすると10代後半からすでに画家としてデビューしていたのではないか。
美少年だった父五峯と相当の美貌の持ち主だった母峯との間に生まれた、画家姉妹もまた美しさと才能で評判になり、当時の学者・文化人などから賞賛されていた。

   玉蘊女史を訪い書贈     張梅花
玉蘊賢媛名久聞 玉蘊賢媛(ぎょくうんけんえん) 名久しく聞ゆ
豈憶遥来此問文 あに憶わんや遥かに来たり此に文を問うを
無声詩至有声詩 無声の詩 有声の詩に至る
閑雅風姿誰若君 閑雅風姿 誰か君にしかん
     (『閨秀画家玉蘊女史の研究』下の五)

【玉蘊の美しい人だという名声は久しく聞いておりました。はるばるここに来て、あなたと話し合うなんて思いをしませんでした。
無声の詩といわれる絵でしかあなたを知りませんでしたが、いま目の前に有声の詩としてあなたがいます。その閑雅な姿は誰と比べようがありましょうか。あなたに及ぶ人はいますまい】(上掲書)

「かねて噂は聞いていたが、こんなに麗しい人とは思わなかった」と、手放しで張梅花は玉蘊を讃えている。すでに玉蘊の名は、江戸に住む梅花の耳にも達していたのだった。

美人画家姉妹の姿を彷彿とさせる絵が残っている。「唐美人図」である。「玉浦豊女」で
落款が入っている。

g−015「唐美人図」 g−016落款
g−015
「唐美人図」(図録より転載)
g−016
落款
  
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