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中 国 新 聞 | 平成13年4月10日(火) | ||
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■明治四一(一九〇八)年、大阪府堺市生まれの藤岡仙太郎さん(九三)は、五十九歳で宮大工を辞めた。百人の心を一つにまとめるが棟りょうの器。「百論一つに止めるの器量なき者は慎みおそれて匠の長の座を去れ」。自分の不徳を恥じず、弟子たちの意見をまとめることが出来きなくなった時だ。 ■藤岡さんは十一歳の時から宮大工の基礎を祖父から体で教わっていた。一日と十五日が休みで、その前の日が給料日。休みの日には神棚にお神酒を上げて、堺の港の船員食堂で卵かけご飯を食べるのが楽しみだった。わずかだが、お給金をもらっていた。当時は卵かけご飯一杯で素うどん十杯食べることができた。 |
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写真 ・ 文 村上宏治
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