小林和作>エピソード | |||
妻は朗読、和作は絵を描く。 | |||
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敏子夫人が難しい漢字が読めないと「ばかたれ!」と叱っていたらしい。 ただ、叱ってばかりではなかったようだ。 敏子:「結婚したばかりの頃、膚寒い日でした。 写生に行くからというので私もついて行きました。 主人は黒いインバネスを着て草深い傾斜地を降りて行きますので『殿何とぞご注意の程を』と侍言葉で節をつけて申しますと、余程珍しかったのでしょう。 可々と笑って『なるほど若い女房を持つのも悪くはないなー』と言いました。」(小林敏子「和作追憶」水彩より抜粋) 昭和23年の「妻の像(01−501)」という絵がある、これも敏子夫人(38歳)が本を読んでいる絵である。きっと家で絵を描くときも隣でBGMのごとく、本を読ませていたのではないかと想像できる。
敏子夫人との最初の出会いのエピソードがある。先妻が亡くなって5年後に再婚、和作54歳、初婚の敏子32歳。 ある人の紹介で、敏子は横浜、和作は尾道と遠く離れていたため、中間の名古屋で会うことになる。その時、お互い名札をつけようと和作が提案するが、敏子側の知人が、「将来をともにする相手が会って直感的に解からぬようではダメです」と言われたのと、敏子自身も若い女性らしく恥ずかしかったので、名札をつけずに向かった。和作は待合室で胸に大きな名札をして坐っていた。和作は生まれつきひどいドモリで、名札をつけた54歳の和作がせっかちにドモリながら挨拶をしてきた姿を見て、ビックリしたのと同時に誠実さに心を打たれ、自分が名札をつけてこなかったことを後悔したと言う。(評伝166・「追憶」より)
昭和17年に再婚した敏子夫人を連れて、秋に富士五湖に出かけたこともあった。 (01−294、518)
その他の水彩
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