森谷南人子>エピソード | |||||
画業を貫いた南人子の晩年 | |||||
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昭和28年 「山波(03−130)」再び山波の桃畑を描いたもの。下絵。「尾道港(03−131)」港の雁木の賑わいが描かれている。
談話:「昭和28年初夏、今は亡き友人、小林和作君に誘われて、四国西端、佐田岬へ旅行した。八幡浜港より乗船、途中三崎町で一泊、串港に到着して、ここで宿をとることにした。景色は尾道辺とは異なり、変化に富み、平坦地が殆どなく、畑地も高いところにあり、耕作もさぞ苦労と思われた。両人は毎日自分の思う、場所へ出掛けて写生した。何日まで居たい様な、気持がしたが、さうもならず、10日程滞在して、帰ることにした。「佐田岬初夏」 昭和31年 この頃郷土玩具「田面船」に絵付けをしたりする。
昭和33年 3月尾道市文化財保護委員となる。 昭和35年 (71歳)4月尾道市新庁舎落成を記念して(森谷南人子・回顧展)を開催。 昭和36年 1月尾道文化財協会機関誌(文化財ニュース)創刊号の表紙を手がける。 昭和39年 尾道市勤労者美術展の審査員となる。 昭和48年 (84歳)6月第五回広島県総合美術作家展に「大山煙雨」を出品。「登山者風景(03−072)」がよく似ている。→本ホームページ「初めて付けた雅号・雪山は」参照 同年7月尾道市内の檀上画廊で(森谷南人子・日本画展)を開催。 昭和49年 11月親友・小林和作が不慮の死をとげる。 昭和54年 「鶴湾春景」を制作。国展などに連続入賞している当時37歳で描いた「尾道秋景」(昭和15年)とほど近い場所から描いた絵である。40年の年月を経ておだやかな中に充実した晩年の力強いタッチの差が比較できる。
昭和55年 10月尾道市立美術館において(画業75年森谷南人子展)を開催し、代表作など80点が展示される。 昭和56年 3月11日尾道において逝去。享年91歳。尾道の四季の移ろいを穏やかに表現した森谷南人子。今、彼はその郷里の笠岡で深い眠りについている。 |
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