原爆をおとすため、アメリカ軍のB29爆撃機3機が南太平洋のテニアン島から飛び立ちました。広島までは、約2、740キロメートルあり、片道6時間30分の飛行でした。 飛行 8月6日午前1時45分(日本時間)原爆搭載機B29エノラ・ゲイ号は、爆発観測と記録撮影のための随伴機2機とともにテニアン基地を離陸しました。エノラ・ゲイというのは機長テイベッツの母親の名前でした。また、これより先に3機の気象観測機が先発、目標である広島、小倉、長崎の天候調査に向かっていました。 7時25分気象観測機から広島の天候が良好と、報告がはいりました。この瞬間、広島の運命は決定したのです。 投下 広島はいつもどおりの月曜の朝をむかえました。午前8時の気温は26、8度、高曇りの空はいくぶん白く見えましたが太陽は早くも照りつけていました。 7時31分に警戒警報が解除され、午前8時にはほとんどの職場が仕事を始めていたし、建物疎開の現場では、作業を始めた少年少女たちもいました。 8時14分30秒、広島市に侵入したエノラ・ゲイの爆撃手は投下目標の相生橋を確認、30秒後に投下地点が照準器の中心に来たとき、自動装置のスイッチをいれました。 43秒後の午前8時16分、投下目標地点より約280メートルはずれた細工町19番地(現大手町1丁目5―24)島病院の上空580メートルで炸裂しました。 |