1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分―これは広島の、いや世界の永遠の刻です。 (一) 昨年8月6日広島市は敵B29少数機の攻撃により相当の被害を生じたり (二) 敵は右攻撃に新型爆弾を使用せるものの如きも詳細目下調査中なり 翌8月7日発表のこの「大本営発表」が、原子爆弾の投下を国民に告げる初めて公式な文章でした。 一瞬の白熱、同時に高熱と爆風の渦、炎が街を走り、そして、黒い雨が逃げまどう市民をたたきました。その後に、動くものもない死の空間が広がりました。 この廃虚から「ヒロシマ」は生まれました。 このような非人道的兵器を再び許してはいけない。その思いを世界に広めるために、「広島」は「ヒロシマ」に変わったのです。 |