頼山陽

頼山陽肖像画
頼山陽肖像画
1780年〜1832年
 頼山陽は、その生涯を通して、実に様々な人と交流した。山陽の活動は、個人的な資質だけではなく、その交友に支えられていた面が強い。その交友範囲の幅広さは、山陽自身が廃嫡(はいちゃく)によってある意味での自由を得たことも一因となっている。一方、山陽に批判的な人も多く、当時からその評価は大きく分かれていたことも事実である。

脚本・演出 写真家 村上宏治
平田玉蘊没後150年記念事業 市民劇団尾道テゴー座 第10回公演
日月抄
平成17年11月26(土)・27日(日)


尾道市立美術館 〜尾道の表現者達〜
[尾道市立美術館 尾道の表現者達]

頼山陽と平田玉蘊
美人図 美人船遊図 そして玉蘊の墓はつつまししやかに佇んでいた。尾道持光寺に眠る平田玉蘊(ひらたぎょくうん)尾道の人達はひらたぎょくおんと言う。 江戸時代、すでに全国的にその名を馳せていた女流作家である。尾道の木綿問屋福岡屋の二女として生まれ、妹の玉葆(ぎょくほ)も画家として知られる彼女は二十一歳の時、竹原で頼山陽と初めて出会う。詩会、舟遊びをともにし、やがて恋に落ちる。
 その後については……
 潜行犯暗雪漫空  潜行し暗きを犯せば 雪は空に漫なり
 家国存亡在此中  家国の存亡 此の中に在り
 小弟啼飢兄泣凍  小弟は飢えに啼き 兄は凍えに泣く
 誰知他日並英雄  誰か知る 他日並びて英雄となるを
〔闇をぬってしのんで行くと、雪が空いっぱいに降ってくる。源家の存亡はこの幼い兄弟にかかっている。しかし弟は飢えに泣き、兄と凍えに泣いている。このいとけなき兄弟が、将来ともに英雄になるとは誰が分かることだろう〕
茶山が玉蘊にこのことばを贈る。
富士図

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