森谷南人子>エピソード
スケッチ帖に見られる洋画の影響
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森谷南人子 詳しくは大正4年12月下旬から描きはじめている。
大正4年3月に卒業しているので、瀬戸内の風景などがあることから、 笠岡に移ってからのスケッチブックであると考えられる。

この頃の鉛筆の素描はタッチが力強く、ダイナミックな印象を受ける。
その中に描かれている松の木の描写には、根元や枝がねじれたデューラー風の樹木が数多く描かれている。(尾道市立美術館学芸員談)→本ホームページ「道のはじまり」参照


03−476 03−489
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03−463「ローマ字で書かれた覚書」
03−463
「ローマ字で書かれた覚書」
スケッチ帖(9)の1ページ目には大正5年3月29日に京都丸善書店に南人子が注文した洋画集(ベルリンと書いてある)の覚書の値段表が載っている。

作家名・ウジェーヌ・ドラクロワ  オットー・ベックマン  ベルラーシ、ベルリン
    49 ティントレット
    2  ルーベンス
    3  レンブラント
    5  デューラー


京都丸善書店は梶井基次郎の『檸檬』にも登場している。
スケッチ帖の中には、他にも「美術新法」や「白樺」なども発注した記録あり。

南人子は田舎にひっこんでても東京の画壇とはかなり付き合いがあったらしい。
そのためにも京都から離れても世間の流れに遅れをとらないように情報収集し勉強していたのではないか。
具体的に誰と交友していたか、確か和作の交遊録とは全く違っていた作家たちだった。
小磯良平など・・・・
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