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南人子のスケッチが語りかける彼の心情
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森谷南人子

完成された作品が語るものは非常に力強いものがある。
しかしその完成形にいたるまでの苦悩を記したスケッチブックほど切なく真の作家であることを語りかけてくるものはない。
人は完成された作品を見るのをとても好むが、それ以上にその到達の道のりとなった証のスケッチブックに心引かれ、感極まるのではないだろうか。
南人子が描きつづったスケッチブックが今ここに何冊かある。
彼の残したすべてのスケッチブックではないことは確かだが、それを紐解いていくうちにあることが解った。それは個人の生きている証の立証ではないか・・・・今自分は生きている、だから描く。何を描くのか、迷っている自分もまた描く、とにかく描く。その反復の作業によって煩悩や苦悩から脱出するための呪文のようにすら思えてくる。繰り返し繰り返し只ひたすら繰り返し描かれる反復のスケッチ。心が痛い・・・

大正5年 岡山県笠岡市西本町に転居。静子と結婚する。
静子夫人の絵(スケッチ帖(2)―12〜14、特に13・「大正15年11月15日 静モデル(03−213)」とあり。
その他は長江の自宅で農婦のスタイルでモデルにしている。
このスケッチ帖には「第六回国展用」と明記されている。
下絵代わりのモデルと考えられ、立ち姿のポーズはすべて似通っている。(5点あり)
妻静子を愛していたのであろう、穏やかに描かれた何点かのその絵からは、南人子の農村人物の描き方の基本が伺える。

03−212 03−213「大正15年11月15日 静モデル」
03−212 03−213
「大正15年11月15日 静モデル」
03−214
03−214
「南人子と静子夫人(左)」昭和55年
「南人子と静子夫人(左)」昭和55年
(図録より転載)

静子夫人についてはあまり残っていないが、とても長生きされたようで二人で並んで坐っていると、仲の良いおばあちゃんが二人住んでいるかのように郵便屋さんが勘違いしたという逸話が残っている。

この5年、6年、8年で描いたスケッチ帖が(9)(03−462)、(5)(03−325)、(7)(03−393)、(8)(03−426)、(6)(03−375)である。
03−462「大正4年12月頃から」 03−325「大正5年6月頃から」 03−393「大正6年5月頃から」
03−462
「大正4年12月頃から」
03−325
「大正5年6月頃から」
03−393
「大正6年5月頃から」
03−426「大正6年11月頃から」 03−375「大正8年1月頃から」
03−426
「大正6年11月頃から」
03−375
「大正8年1月頃から」
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