森谷南人子>エピソード
京都で学ぶ絵の基本
前へ  次へ
森谷南人子 詳細評論は(森章吾より)「なでしこ(03−001)」「白藤(03−003)」「葉牡丹(03−544)」「和太鼓(03−550)」などが非常に写実的な絵である。これらの学生時代の課題の絵の成績には「甲」がつけられている。学生時代から写実技術が優秀だったようだ。反対に、和作は学科の成績はずば抜けてよかったが、絵の成績は悪かった。(和作評伝47)
03−001「なでしこ」
03−003「白藤」
03−001「なでしこ」
03−003「白藤」

明治38年 京都美工一学年課題作制「葉牡丹(03−544)」他3点を制作。

03−544「葉牡丹」
03−550「和太鼓」
03−544「葉牡丹」
03−550「和太鼓」

明治39年 同科二学年課題作「和太鼓(03−550)」他3点。

明治42年4月 京都市立絵画専門学校本科に入学。竹内栖鳳(せいほう)らの指導を受ける。竹内の日本画を見ると南人子がいかに感化されたかが強く伺える。

京都市立絵画専門学校玄関前
京都市立絵画専門学校玄関前
村上華岳(左から3番目)らと 南人子(右から3番目)

 

明治45年 同科の課題作「夕月」を制作。ここで雅号を梢月(しょうげつ)と変える。
この時期、和作も同じ専門学校に入学している。
1級上に小野竹喬(ちっきょう)、土田麦僊がいた。
本科・別科と違っていたが、小林和作は同級生だった。

和作が在籍中の明治43年に描いた絵が「椿に四十雀(01−495)

「夕月」
01−495「椿に四十雀」
 「夕月」(図録より転載)
01−495「椿に四十雀」
小林和作

「麗艶」
「麗艶」(京都市立芸術大学芸術資料館所蔵)

大正2年3月 南人子・和作ともに絵画専門学校卒業。
卒業制作「麗艶」「論評」この作品は後の南人子からは想像できないくらい色っぽい官能的な作品である。

大正3年12月 同人誌『黙鐘』の創刊に河合卯之助、野長瀬晩花らとともに参加。
同誌の図案を手掛ける。

大正4年3月 同科を修了。
同人誌『光芒・コロナ』が主催する展覧会に村上華岳、野長瀬晩花らとともに出品する。この頃より雅号・南人子を用いる。
前へ  次へ