森谷南人子>エピソード
南人子意欲的に出品そして入選を果たす(2)
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森谷南人子 昭和9年 4月京都時代からの親友である小林和作が尾道に転居し以後定住する。
エピソード:南人子は都落ちをした和作のために長江の家を探して世話をしたようだ。
その後、南人子は外科医・笠井隆吉宅で小野の他、尾道の趣味の画家に和作を紹介している。これは新参者の和作に知人を作ってあげようという友情と一方には田舎で油絵をやっているアマチュア画家グループに専門家の指導を受ける機会を与えてやろうという親切からだったのであろう。(和作評伝114と148に小野鉄之助が語っている)
南人子自身が知り合いのいない尾道に来て、絵を通じて知り合いを作ろうとした自らの経験があったからこその親切であったのだろう。→本ホームページ「慙愧心」参照

同年5月に大礼記念京都美術館展に「野早春」を出品。同月第十三回日本南画院展に「春浦」が入選。10月第十五回帝展に「浅春麗日」が入選。
「秋村飛鶴」
「秋村飛鶴」(図録より転載)
「秋村飛鶴」という大作がある。
「春浦」と「秋村飛鶴」を出品したが、「春浦」が入選。
談話:絵は「春浦眺望」と「秋村飛鶴」の二枚出しました。「春裏眺望」は長さ6尺、天地4尺で今春5月頃、尾道市対岸向島の肥浜から満開の桃や松永湾を取り入れ、内海情緒を表したものです。「秋村飛鶴」は昨年11月鶴の名所・山口県八代村に赴き、約2週間滞在し家並み、畑、山などを添景に鶴の乱舞する平和な山村風景を描いたもので幅6尺5寸、天地4尺で私の気持は「春浦眺望」のほうが入選したのではないかと思いますが、はたしてどちらか分かりません。(昭和9年10月14日大阪朝日新聞掲載談話)


「遠帆連浪」
「遠帆連浪」(図録より転載)
昭和11年 前年に改組された帝国美術院の第一回新帝展に「遠帆連浪」が入選。
談話:場所は阿伏兎と相対している田島の婆崎から北を見て、矢の島を眺めたところで昨年初夏のころ10日間阿伏兎に滞在して写生したものです。
その頃は新緑の季節で中央の矢の島が白色にみゆる静かな海面にふっくりと浮き出ていて、近景の田島の松の緑とこれを點綴(てんてい)する躑躅の紅色とが相映して何ともいえぬ景観でありました。
平素見馴れている内海風景ではありますが、このような纒(まと)った景観は容易に得られず、写生しつつも悠久たる自然の美に陶酔したことです。
手法には何ら新奇を試みなかったが、初夏の風趣を表現するのに努力しました。
(昭和11年3月4日大阪朝日新聞掲載談話)

03−141
03−141
他に(昭和11年10月31日から11月4日(03−141))この下絵を基に「豪渓の秋」を制作。紅葉狩りにきた親子であろうか、中年の女性とお下げの若い女性と小学生ぐらいの女の子(赤いベレー帽に赤のワンピース、白いタイツに青い靴、緑のランドセル。)明らかにこれらの人々は南人子が今まで書きつづけてきた農村の人とは違い、都会的なセンスの服装になっている。

「豪渓の秋」
「豪渓の秋」 (図録より転載)
   
帝展は再改組され新文展となり、第一回展に「五月晴れ」が入選。
談話:私は「五月晴れ」というので、沼隈郡浦崎村道越の田園風景を描いたもので松永湾の一部も取り入れています。素材は平凡ですが、従来と異なる点は人物の配置を近くしたため、全体の感じが大きくなったのと、色彩を著しく濃くした点です。
(昭和11年10月15日大阪朝日新聞掲載談話)

この絵から農民の農作業したり畦でくつろいだりした様子が表情豊かになってくる。まるで会話が聞こえてきそうで愉快な気持になる。 「五月晴」
  「五月晴」(図録より転載)



その他(昭和11年10月31日から11月4日まで(03−142))農家の絵。裏が森谷荷扱店用紙(明治20年代のもの)で裏打ちしてある。
03−142 森谷南人子 画像
03−142
森谷南人子 画像 森谷南人子 画像


「初春閑村」
「初春閑村」(図録より転載)

昭和13年 10月第二回新文展に「初春閑村」
談話:ちょうど本年の初春のこと、市街高須村太田にスケッチに出かけたところ、偶然発見した画材です。
画題は(初春閑村)で4尺に6尺5寸の大作りで、農家が屋根替えの模様を表し、子守ばあさんが20歳ぐらいの娘さんと立ち話をしており、梅花に数羽の雀を配し、遥か向こうに松永湾の一部を取り入れています。総じて、悠々たる村落の風景です。
(昭和13年10月14日備後時事新報掲載談話)

この時代背景や絵に対する学芸員の感想がある(森谷南人子の人と芸術をめぐって=大井健地)。「非常にのどかで屋根の吹き替え中という作業もさっぱりして爽やかな風景で、ごくありふれた村の生活を淡々と描き出している。日常を描くことによってこの絵は現代の鑑賞者にも昨日・今日の風景として家郷への暖かい思いを甦らせるのだ。」

時代背景は太平洋戦争突入の兆しが見えて、昭和12年7月7日廬溝橋(ろこうきょう)事件や12月13日には南京占領など、初春閑村が出品された文展には戦意高揚の戦争画も同じく並べられたような時代であった。
にも関わらず、戦前の南人子は穏やかな農村の風景をのびのびと描ききっている。
画面の下半分を平たんな穏やかな風景になっている。
観るものに未来へののびやかな感じを与えてるように思える。
新冬風景のように赤ちゃんをおぶった女性の姿にも生活感があふれ、微笑ましい気がする。

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