深刻な住宅難
深刻な住宅難image  多くの市民は原爆によって家を焼かれ、応急的に建てたバラックもその年の秋の枕崎台風で押し流されました。その後も資材不足や資金不足にくわえて、土地区画整理が予定されたことなども原因して、住宅難は深刻でした。

 このようなとき旧軍用地の基町(爆心地から北へ0.3〜1キロメートルの位置)に越冬住宅、引き揚げ者住宅が計画され、1946年(昭和21年)広島市による10軒長屋、住宅営団によるセット住宅などが応急的に建設されました。


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