急がれた原子爆弾の使用
LITTLE BOY
 アメリカは、当時、日本をできるだけ早く降伏させ、アメリカ軍の犠牲を少なくしたい、と考えていました。
 連合国側は1945年(昭和20年)2月のヤルタ会談で、ドイツの降伏後3ヶ月以内にソ連が対日参戦することを極秘に取り決めていました。したがって、アメリカはそれ以前に原子爆弾を日本に投下し、戦後世界でソ連より優位に立ちたい、と考えるようになりました。
 さらに、アメリカは世界最初の原子爆弾を一日も早く実戦で使い、効果を測定したい、と考えていたようです。
 アメリカは、これら三つの理由で原子爆弾の投下を急いだ、といえるでしょう。

1942年12月にシカゴ大学で原子炉実験成功。
 計画から約4年の45年7月、2個のプルトニュウムと1個のウラン爆弾が完成したことになる。人類で始めて核実験が行われることになったのは7月の16日ニューメキシコのアラモゴードでの砂漠で行われた。
何故日本であったのか。
 日本本土の上陸作戦、暗号名はオリンピック作戦となずけられ、11月の作戦に向けての被害状況を算出していた。米軍戦死者4万人と算定、43年5月にアメリカ側は太平洋上のトラック島に集結中の日本艦隊を目標とされていた。日本に対する目標決定は、万が一回収されても、日本側は技術的な開発能力はなく、また報復攻撃の心配は全くないと判断。
 選考の基準は、軍需基地があり、住宅があり爆発の威力が十分発揮し、その成果が観測可能であること、対比可能な条件である為、被害の今までにない都市、であること、広島は捕虜収容所がないため第一目標に選ばれた。


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