生き残ったしるし
生き残ったしるし
 廃虚の街で生き残った人々は、原爆のことを「ピカドン」と呼びました。ピカは閃光、ドンは後から来たすさまじい音響の表現でした。
 爆心地から約500メートルの袋町国民学校には、火災でまっ黒になった壁に、市民の消息がチョークで走り書きされていました。また、市内の焼け跡には家族の避難先を書いた小さな伝言板が残されていました。肉親や知人のゆくえを訪ねる人々は、この「生き残ったしるし」を探し求めました。


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